Yamasaki 2015年9月・10月の我が家の出来事 - 21


島根出張3(益田、浜田、松江) - 5

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次は浜田市である。桜で有名な、浜田城址公園へ行った。ここの駐車場は、石見地方出身の戦没者をお祀りしている護国神社(写真)の境内でもある。


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境内には、日進戦争当時、浜田にあった歩兵第21連隊に所属したラッパを吹く「木口小平(きぐちこへい)」の像がある(左写真)。木口小平はラッパ手で、戦死した時にも口からラッパを離さなかったという逸話で有名であり、「教科書にも載っていた」と徹は父から聞いたことがある。なお父も、後の太平洋戦争のときに浜田の連隊に所属していたことがある。 また、本殿のそばには「浜田藩・追懐の碑」(右写真)がある。中央の碑文「浜田城」は司馬遼太郎が書いており、彼は小説「花神」で、「第二次長州征伐」において長州藩の大軍と浜田藩が戦った「石州口の戦い」について書いている。この碑文には、幾多の試練と闘いながら生きてきた「石見人」の気質が、見事に描かれている。 なお、境内には明治・大正時代に活躍した浜田出身の作家「島村抱月」の石碑もある。さらに、ここが万葉集の有名な歌人「柿本人麻呂」の終焉地の一つと考えられているという説明版も立っている。


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さて、浜田城への登城口には堂々とした門がある(左写真、右写真)この門は、もともと津和野城の門だったとのこと。浜田城は、幕末に長州藩に攻められたときの藩主が、自ら城に火を放って退城したため、今は石垣が残っているのみである。


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石段を登り続けるとかつて天守があった本丸に至る。昔から「海城(うみじろ)」とも呼ばれた浜田城、海が良く見える(左写真)。この深い入り江は、「外ノ浦(とのうら)」といい、かつては多くの船が行き来する、物流の拠点だったとのこと(右写真)。


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本丸の中心には、このような台座がある(写真)。明治時代に立てられた「報国・忠勇之碑」の一部とのことで、昔はその上に砲身と弾丸が設置されていたが、第二次世界大戦中に軍に供出されたまま現在に至っているらしい。


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