Yamasaki 2006年11月・12月の我が家の出来事−4



バンコク・アユタヤ−3

アユタヤ遺跡群はバンコクからは80kmほど北に位置し、その中心部は4方を川及び運河に囲まれている天然の要塞である。ただそのため全体的に土地が低いようで、道路から見る周辺の民家は湿地や沼の上に高床式で建っており、中には家から釣りをしているのも見えた。

タイが国家として成立するのは13世紀スコタイ王朝からである。当時アユタヤは貿易都市として栄え、衰えはじめたスコタイ王朝とは別の王朝が作られ、結局はスコタイを吸収し、アユタヤ王朝として繁栄した。最盛期には東南アジア最大の都市だったとのことである。日本との関係も深く、17世紀には御朱印船貿易により1500人が住む日本人町も形成され、山田長政が傭兵隊長として名を馳せたことは歴史の教科書で習ったことである。しかし1767年にビルマ軍の侵攻を受けて滅びた。

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アユタヤ遺跡群の中で最初に訪れたところは、川に囲まれた中心部ではなくて外にあるワット・ヤイ・チャイ・モンコンというお寺。はいるとまず、のざらしの涅槃仏に迎えられた(左写真)。昔は屋根があったのだが、侵略してきたビルマ軍に焼かれたとのこと。同じ仏教国ではあるが、やはりタイ人のツアー・ガイドにはビルマに対する対抗心というか「うらみ」が感じられた。涅槃仏の向こうに高さが72mの大仏塔(右写真)がある。そしてこの大仏塔はビルマが先に建てたワット・プー・カオ・トーンという大仏塔に高さで対抗したそうだが、わずかに及ばなかったとのことである。


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大仏塔には外にある階段で途中まで上ることができ、そこから中にもはいれるのだが、中にはこうもりがたくさんいて、その糞の匂いで気持ちが悪くなり、そうそうに退散した。ただそこから裏側に回って見下ろして見ると、このような穏やかな景色である。大仏塔の周りを、黄色い布をまとったたくさんの仏像が取り囲んでいることがわかる。



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