Yamasaki 2007年1月・2月の我が家の出来事−8



冬の京都(上賀茂神社、下鴨神社、北野天満宮、千本釈迦堂)- 4

kamishichiken1" hkamishichiken2

kamishichiken3" kamishichiken4

北野天満宮の東側に、京都最古の花街であり『北野をどり』で有名な上七軒がある。この上七軒界隈は京都市の「重要景観整備地域」にも指定されており、なかなか風情がある。室町時代に北野天満宮の再建の際に残った用材を使って7軒の茶店を建てたのが「上七軒」の由来だそうである。

まず、上賀茂神社そばに有名な「やきもちの神馬堂」があったように、北野天満宮のそばにも有名な「やきもちの天神堂」がある(上左写真)。「神馬堂」同様、徹はここも遠慮した。「天神堂」の斜め向かい側に「おかもと紅梅庵」がある。ここでお昼にいただいた「紅梅弁当」が気に入った。品数が豊富で、とても美しく、もちろんおいしい。容器も美しく、弁当の入れ物の形が梅の花なのはすぐわかるが、吸い物入れが梅の蕾の形をしているのに気が付いたときはいたく感心した。この店は、隣にある「おかもと」という仕出屋さんが、御茶屋を買い取って始めたとのことで、店にはいると京町屋の雰囲気がそのまま残っている。そして、相手をしてくれた仲居さんがとてもきびきびしていて可愛らしかったことも気に入った大きな理由である(上右写真)。

もう少し行くと、軒先に豊臣秀吉がいたく気に入ったという「みたらし団子」を形どった提灯がつるしてある、典型的な御茶屋「市」とそこが開いた割烹「文楽」がある(下左写真)。その次に「月餅」がおいしい「老松」本店がある(下右写真)。このあたりは本当に風情がある店が並んでいる。



senbonshakado1" senbonshakado2

上七軒の通りが終わり、北にいくと千本釈迦堂に至る。このお堂に向かって右側には「おかめ塚」があるが、あの「おかめ」の面の表情からは想像できない悲しい由来が書いてあったので紹介したい。

千本釈迦堂を建てる時、大工の棟梁長井飛騨守高次が誤って本堂を支える親柱の四本のうち一本の柱を短く切り過ぎてしまった。途方にくれた高次に、妻の阿亀(おかめ)が「その短い一本に合せ全部の柱を切れば」と助言をした。その後今に見る端正な本堂は完成するが、「女の知恵を借りて完成させたと云われては主人の恥となる」と思い、阿亀は自害して果てた。この話は大工達に受け継がれ、江戸時代には本堂の脇に「おかめ供養塔」が建立された。今でも家の棟上げにはおかめの面をかざることがあり、おかめ塚は全国の大工達の信仰を集めている。

一方、お堂に向かって左側には「ぼけ封じ観音」がある。淳子は思わず祈っていた!?(右写真)


次ページ


2007年の出来事

ホーム