Yamasaki 2008年7月・8月の我が家の出来事-2



舞鶴引揚記念館-2

引揚記念公園 献木

引揚桟橋の形をした展望台

実は「引揚記念館」は「引揚記念公園」の一部になっている(上左写真:右側が丘になっている「引揚記念公園」で、高齢者のための杖が用意されている)。舞鶴湾が一望できる展望広場へと続く道沿いには桜やツツジが植樹されているが、これらは当時舞鶴へ引き揚げてきた人々が作ったさまざまな会や団体からの献木である。中に「島根県人会舞鶴支部」というものもあった(上右写真)。またこの歩道には備え付けのスピーカーから『岸壁の母』のメロディがエンドレスで流れている。そして5分ほど歩くと展望広場につくのだが、その突端には、『岸壁の母』が待ち続けていた「引揚桟橋」の形を模した展望台(本当の桟橋は、当然ながら舞鶴港の浜にあった)がある(下写真)。

舞鶴湾1舞鶴湾2舞鶴湾3

舞鶴湾4舞鶴湾5舞鶴湾6舞鶴湾7

その展望台からのパノラマの舞鶴湾の眺めである(上下の写真は連続している)。上写真にあるつり橋は「舞鶴クレインブリッジ」といい、二羽の鶴をイメージして設計されたものだそうだ(主塔が鶴のくちばしを、ケーブルが鶴の羽をイメージしている)。そのつり橋を含めとても静かで美しい景色で、昔の戦争のことなど忘れてしまう。しかし、下写真右側の浜にある青い屋根の木工所のあたりには昔は引揚援護局があり、木工所手前の「引揚桟橋」(この写真では見えないが「このページの最後の方に復元された「引揚桟橋」が写っている。歩いていけないのが残念である。)から上陸してきた引揚者や迎えに来た家族でごったがえしていたのだ。そこには父のように「雪焼けでどちらが前か後ろかわからない姿で帰ってきた(父の妹である徹の叔母の言葉)」シベリア抑留者や、端野いせさんをはじめとする再会できなかった家族、そして再会できた家族のさまざまな思いが詰まっている。あらためて「引揚記念館」にあった「平和の誓い」を思い起こした。


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