Yamasaki 2015年3月・4月の我が家の出来事 - 24


京都3(祇園・八坂、嵐山、仁和寺、太秦)- 11

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仁和寺を出てまた嵐電に乗り(左写真)、「帷子(かたびら)ノ辻」という駅で降り、目の前にある「菜館Wong 」(右写真)で昼食をとった。この店は「食べるラー油」発祥の店として有名で、もちろんお土産に買って帰った。


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さらに嵐電に乗り(左写真)、広隆寺へ(右写真)。ここには4年前に淳子と来たことがあり、内容の紹介もしているので省略する(このページ)。ただ、このあたりは太秦(うずまさ)と言われ、その興味深い由来について京都検定「2級」の友人の説明があったので紹介しておく。

秦の始皇帝の末裔とされ、朝鮮半島から渡来した秦(はた)氏は優れた養蚕や機織(はたおり)、土木技術を持ち、このあたりを拠点として栄えていた。そのため、朝廷に税として絹を献上する際には「うず高く積んだ」ことから、「禹豆満佐=うずまさ」の号を与えられた。そして、拠点を表す「太」という字と秦を合わせ、秦氏の拠点という意味の「太秦」という字が当てられたということである。広隆寺はその秦氏の氏寺である。なお、「機織」という言葉も当然秦氏からきており、太秦が時代劇の撮影所として選ばれたのは、秦氏が太秦の地で発展させた織物業により、時代劇に必要な衣装などの生産拠点があったことが理由の一つであるとのこと。また、淳子の生まれ育った秦野市をはじめとして、全国の「秦」と付く地名の多くは、秦氏の一族が居住したことに由来しているらしい。


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広隆寺から10分ほど歩いて、同じく太秦にある「木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)」は、通称「蚕ノ社(かいこのやしろ)」とも呼ばれ、養蚕技術を持っていた秦氏ゆかりの神社である(左写真)。 そしてこの神社に、鳥居を三つ組み合わせたような形をしたとてもユニークな「三柱鳥居」がある(右写真)。中央の組石は本殿を表し、ご祭神の神座であり四方より拝することが出来るよう建立されているとのことである。


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