Yamasaki 2003年9月・10月の我が家の出来事-3



日曜日にフランクフルト経由でリヨンに到着、レンタカーを借りた。前回きたときはスコダのオクタンビアという車だった(前回の出張については、このページに載っている。)が、今回はシトロエンのCX、それもオートマティック車を借りることができた。走りやすいフランス自慢の高速道路を1時間ほど運転するとグルノーブルへはいる。なお、現金を持たないまま高速道路にはいってしまい少々あせったが、クレジットカードでもOKであった。

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このグルノーブルの研究所は古さと新しさが同居している、いかにもフランス的なところである。まず、小さな古い城を借りてオフィスにしている(上左写真)。背景にアルプスの山々が見える。そして、その隣に総ガラス張りのもうひとつのオフィスを建てている(上右写真:ガラス面に城が映っている)。背景にはプリ・アルプスと呼ばれているテーブル状の山が見える。
裏庭からは、それはそれは素晴らしいアルプスの山々が見える(下写真)。研究者達は「この研究所で働くインセンティブはこの景色だ」と言い放っていたが、さもありなんと思う。なお、グルノーブルは「フランスのいシリコン・バレー」と呼ばれるそうである。確かにプリ・アルプスとアルプスの間の谷間にあり、川も走っている。そのなかに優秀な大学と企業の研究所もがくさんある。

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研究者達においしい食事に連れて行ってもらった。昼は森の中にある古いレストランで、夜はグルノーブルの中心にある古いレストランで、フランス料理をご馳走になった。この写真は夜のディナーの最後、ケーキに燃えるシロップをかけてもらっているところである。


さて、是非とも書いておかなければならないことがある。グルノーブルを離れるときに危うく飛行機に乗り遅れそうになった、その顛末である。教訓がたくさんあるからだ。まず、グルノーブルの町から高速道路にはいるときに問題が起こった。高速道路にはいり損ね、道に迷ってしまったのである。グルノーブルの町は「ほとんどが一方通行」で、もときた道を引き返すことができない。また車をとめて道を聞こうとしても、「英語が通じない」。このときは雨も降っていて、よけい大変だった。ようやく、川沿いに高速道路が走っていたことを思い出し、どんな道でもいいから川へまず出るつもりで車を走らせ、40分ほどのロスで高速道路にはいれた。しかし、これだけでは終わらなかった。高速道路から空港へ出るときに問題が起こった。途中2つの空港への出口があったのだが、いずれもリヨン空港ではなかったため通り過ごした。しかしリヨン空港への出口は見つからず、とうとうリヨンの町へはいってしまった。リヨン空港からグルノーブルまでの間にはリヨンの町はなかったので、空港への出口を見逃してしまったに違いない。車をとめて商店にはいり、空港はどこか尋ねた。ところがリヨンの町でも「英語が通じない」。2軒目の商店でもだめだったが、そこにはいってきた客が少し英語がしゃべれるとのことで聞いてみた。すると、リヨン空港という空港はなくて、サンテグジュペリ空港という名前の空港だというのだ。つまり「空港の名前は町の名前と違っている」。そういえば通り過ぎた2つの空港のうち2番目の空港の名前は、読めなかったもののそんな綴りだったような気がする。あわててもう一度高速道路へ入りなおし(ここは幸運にも一方通行ではなかった)、サンテグジュペリ空港への出口で降りた。結局ここでは夕方のラッシュも手伝って、1時間ほどロスをしてしまい、寿命が縮まった。本当に大変な帰路になってしまったのだが、いずれも事前準備をしっかり行っていたなら避けられた問題である、反省しきりである。



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