Yamasaki 2007年1月・2月の我が家の出来事−2



父の墓参りのため、松江から車で温泉津に日帰りで行ってきた。

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温泉津にいくときには、必ず温泉街の上(かみ)のほうにある、元旅館「いなや」あとの駐車場(上写真)に寄る。温泉津は狭い谷に沿って発展した温泉街なので、この写真でもわかるように旅館の裏はすぐがけになっている。なお今回は、右隣にある旅館「さわのや」が修理中であった。世界遺産認定に向けた町並み保存の観点から、修理後も昔風に戻す必要があるということで、随分手間と時間がかかるそうである。
駐車場前から下(しも)を見ると、右側に温泉津温泉の「元湯」がある。原爆病にも効くといわれる暑い湯が特長で、湯の花がびっしりついている。徹は暑い湯が苦手なので、温泉津で温泉にいくというともう少し先の左側にある「薬師湯」(説明によると、全国に僅か12箇所しかない最高評価の「オール5」で認定されたかけ流し湯とのこと)に行っていた。

さて、山崎家代々の墓は、「薬師湯」の向かい側にあるわき道をはいって30メートルほど先にある龍澤寺というお寺にある。母によると、墓がある周辺の土地はもともと山崎家のものであったが、龍澤寺が墓地を拡張するときに寺の持っていた別の土地と交換したものという。そのため、お寺は好きな場所を山崎家の墓のために選んでいいと母の父(徹の祖父)にいい、祖父は朝夕のお勤めが行なわれるお寺の境内が良く見える現在の場所を選んだのだそうである。なお、「薬師湯」の向かい側にあるわき道にはいってすぐ右側に金刀比羅神社へ行く急な階段がある。徹は昔、祖父につれられてよくここから金刀比羅神社に行ったことを思い出す。祖父は金刀比羅神社再建に大きな貢献をした人のようで、いつも勝手に中にはいって自分で大太鼓をたたいていた。今でもその姿は徹の頭に浮かぶ。

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以前紹介(このページ)した若林酒造は、温泉津の温泉街ではなく、山ひとつ隔てた小浜と呼ばれる地域にある。母によると昔は温泉津と小浜は違う村で、その間の行き来と言えば山を越える1本の細い路しかなかったそうである。今回も帰りに寄って「開春竜馬」(今回も「生」はなかった)を買って帰った。



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