Yamasaki 2007年7月・8月の我が家の出来事−2


徹の父の一周忌@温泉津−2

徹の祖父母及び父の墓がある(実際のお墓はあとで述べる龍沢寺にある)西念寺については、このページの下段に門の写真とともに簡単に記述したが、毛利元就と深い関係がある。その「深い関係」について今回ご住職にいろいろ話を聞いたので、書いておく。

毛利元就は、昔出雲の尼子氏に負けて逃げ落ちるときに、温泉津と同じく大田市に属している「波根」にある「長福寺」という寺の「三休上人」にかくまってもらった。そのとき三休上人は元就の顔を見て、「中国地方のすべてを手中に入れる大将の相がある」と予言した。また、元就出発の折には、敵の矢が当たらないという矢違いのお守り≠授けた。その後元就は、予言の通り尼子氏に討ち勝って中国地方を手中に入れ、お礼として着ていた陣羽織や周囲の土地を長福寺に寄贈したという。さて、その三休上人に代わってしばしば戦場に赴き、伽僧(死者の枕元で読経する僧)として働いたのが三休上人の直弟「念休上人」であり、西念寺を開いた方である。毛利の軍勢が、狭かった谷の岩盤を切り拓いて寺の境内を作るのを助けてくれたとのことである。

西念寺1 西念寺2

西念寺3西念寺4

門からはいってすぐ左手の高いところにお堂が見えるが(上左写真)、そこへ登る道の脇には、やはりお墓を作る場所も少なかったためであろう、岩盤を削って作った穴の中にお墓が並んでいる(上右写真:2008年夏撮影)。ただ、やはり本堂は大きくて立派である(下写真)。明治時代「隆乗上人」(庭に銅像が建っている)の時再建されたものという。また写真右側には平成になって改築された庫裏が写っている。

西念寺5
西念寺6
西念寺7

庫裏にあるこぢんまりとした庭も素敵だ。ここでも正面に、岩盤を削って登っていく道が作ってある。最近ご住職は「竹の子とり」にいくときにこの道で転んで怪我をされたそうである。確かに年をとると登ろうと思う気もなくなるくらい急な道である。


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