Yamasaki 2009年11月・12月の我が家の出来事-12



比叡山延暦寺-3

延暦寺4  延暦寺5

さて次の日の朝は、暗いうちから起きて、根本中堂で法話を聞いた(左写真:法話が終わって出たとき。既に明るくなっている)。法話の中では、本尊薬師如来像の前にある「不滅の法灯」に関する話が印象に残った。「不滅の法灯」は開祖最澄以来1,200年もの間一度も油を断たれることなく灯り続けているのだが、その間、実は一度信長の焼き討ちにあって消えてしまったとのこと。しかし、山形の立石寺に分灯されていた法灯を分けることにより再び復活させたとのことである。分灯しておくとはすばらしい知恵だと思う。また、この法灯の「油を断つな!」という教えから「油断(大敵)」という言葉が生まれたそうである。

根本中堂入り口の前には、教育者としての最澄が天台宗の僧侶の教育方針について著した『山家学生式』の碑がある(右写真)。

「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝と為す。故に古人の言わく径寸十枚(けいすんじゅうまい:宝石10個のこと)是れ国宝に非ず。一隅を照らす、此れ則ち国宝なりと。・・・・・(後略)・・・・・」

まさしくそのとおりだと思う。奈良仏教が小乗仏教で自らの悟りを求めるのが基本であるのに対して、最澄(や空海)が興した平安仏教は大乗仏教で、利他があってはじめて自らの悟りがあると考える。だから延暦寺においても、悟りを開く修行がベースであるものの、「一隅を照らす」ために比叡山を降りて京都の民衆に教えを説くことを忘れなかったのだろう。そして法然(浄土宗開祖)、一遍(時宗開祖)、日蓮など多くの鎌倉仏教の祖師達も、「不滅の法灯」を守りながらこの修行を受けてきたのである。同じ修行を積んでもさまざまな宗派の発生を許す柔軟性、そこが延暦寺の凄いところだと思う。結果として、延暦寺は日本の仏教研鑽の中心地となった。


延暦寺6  延暦寺7 

そばの階段の上にある文殊楼から見降ろした根本中堂(左写真)と、延暦寺会館側へおりてから見た文殊楼とそこへ至る階段(右写真)もなかなかいい。


延暦寺8  延暦寺9

東塔エリアには、その他に大講堂や阿弥陀堂があるが、建物としては扉の文様が素敵な戒壇院がいい(左写真)。大講堂へいく階段の横にきれいな紅葉があった(右写真)。



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