Yamasaki 2009年11月・12月の我が家の出来事-1



奈良

奈良は学生時代に一度明日香村へ行った記憶があるが、あとは10年前(米国駐在時代)と数年前に2度、出張でけいはんな研究学園都市を訪問したときに、それぞれタクシーを使って奈良ホテルへ泊まったことと猿沢の池そばの古い料理屋で夕食をいただいたことがあるだけである。 今回、徹の小学校時代からの友人のお母様の紹介で、奈良薬師寺の「晋山式」(新管主の就任報告式)に出席することができ、京都に対しての奈良仏教に触れることができた。また、それを機会に「西の京」と上記出張で訪れた場所周辺を歩くことができた。


薬師寺晋山式1 薬師寺晋山式2

晋山式は、近鉄西の京駅に隣接している薬師寺の金堂で行われた(左写真)。3000を超す参列者を前にいろいろな方の祝辞や舞の奉納があったが、東京芸大の松下功教授がこの日のために作曲、演奏、奉納した「祝典序曲 薬師如来」が素晴らしかった(右写真)。山田法胤(ほういん)新管主の母校・龍谷大交響楽団と同大学混声合唱団計約130人が金堂の上で演奏したその曲は、薬師如来の「真言」(マントラ:真実の言葉。転じて仏の言葉)である「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」という言葉を効果的に使った、オルフの「カルミナ・ブラーナ」のような躍動的な迫力ある音楽で、感激した。


薬師寺晋山式3 薬師寺晋山式4

そして、最後の山田法胤(ほういん)新管主のあいさつには感心した。
「母が恋しく、何度も岐阜の実家に戻ろうと思った」など、昔薬師寺僧侶になった頃や修行時代の辛かったことを話した後、「今の世の中、生活の苦しさからいろいろな事件がおきているが、もともと四苦八苦というように、生きていること自体が苦しみであり、この世に生を受けたことそれ自体が苦である。それが皆わかっていれば、そのような事件はおきなくなるはず。」と説かれた。初めて知ったのだが、「四苦八苦」とは「生老病死」の「四苦」とそれに加えて、愛別離苦(あいべつりく:愛する人と別れる苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく:怨み憎む人と会ったり共に暮らす苦しみ)、求不得苦(ぐふとくく:いくら求めても得られない苦しみ)、五蘊盛苦(ごうんじょうく:人間の身体・精神の欲求に限りがないことによる苦しみ)のを加えた「八苦」であり、生きている限り、命ある限り、一切の例外なく誰の心にもついて廻る「苦」であるとのことである。そして、その「苦」から逃れるには、そのような『煩悩』にとらわれる自分の言動や想いを常に自省し、自身に負けない確固たる自覚を持つことが重要だ、とのことである。具体的には、八正道(「正しく見る(正見)」「正しく判断する(正思)」「正しく行動する(正業)」「正しいことを語る(正語)」「正しい生活をする(正命)」「正しく努力する(正精進)」「正しく念う(正念)」「正しく瞑想する(正定)」)を実践するしかないというのが、仏教の教えらしい。

新管主の上記のような法話の部分だけではなく、最後の「ビジネスマン」としての話の内容にも感心した。新管主は、「国宝東塔(左写真:フェノロサが「凍れる音楽」と評したことで有名)の解体修理を、お薬師さんから課せられたありがたいものと受け止め成し遂げたい。そのために、金堂などの再建を般若心経の写経活動で成し遂げた高田好胤(こういん)師の後をつぎ、経典「舎利礼文(しゃりらいもん:釈迦の一生)」を専用の用紙に写す「東塔大修理特別写経」への協力をお願いしたい。」と結んだ。高田好胤師は新管主の兄弟子にあたるらしいが、檀家組織がなく荒廃していた薬師寺を再建するため、全国の人々から一人1000円の写経納経の供養料を集めて、これを賄おうと考えた。そのために講演や書籍出版もこなして有名になり、結果として100万巻の納経が達成され、金堂を再建することができた。100万巻の納経された写経は、その金堂の屋根裏、国宝薬師如来と日光・月光菩薩像(右写真)の上に置かれている。写経する側からいうと、これは写経そのものの功徳だけではなく、それが国宝のはいっている新しい金堂の中に永久に残る、という価値があることを意味する。一方薬師寺側から言うと、コピーをする機械を提供するわけでもなく、コピー用紙を提供してそれを特別なところに置くだけでビジネスになるということである。そういうサービスを成り立たせるために、しかし多くの宣伝をする必要があるということで、管主はその先頭に立つトップ・セールスマンでなくてはならない。そのために、法話もうまい必要があるというわけである。その点山田法胤新管主も、高田好胤師に負けず劣らず話がうまいのではないかと思った。また既に著書も数冊あるようで、そのうちのいくつかが、引き出物の中にはいっていた。


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