Yamasaki 2012年1月・2月の我が家の出来事 - 10



高校同期会と京都島原、北野、嵐山 - 3

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4月と10月に行われる「壬生狂言」で有名な壬生寺(左写真)。びっくりするのは、本堂の横にある「千体仏塔」(右写真:パゴダ様式の仏塔に1000体の石仏を円錐形に安置したもの)。


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そして、この壬生寺は、新撰組との関係でも有名である。境内は新選組の兵法調練場に使われ、武芸などの訓練が行こなわれたという。その縁で、境内には局長近藤勇の銅像(左写真)や、新選組隊士の墓である「壬生塚」がある。絵馬がいかにも、という感じである(右写真)。


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壬生寺の近くには、新撰組屯所であった八木家(左写真)がある。中ではガイドさんによる説明があったが、この八木家奥座敷で起きた芹沢鴨とその一派の暗殺のくだりは、前ページに記した「輪違屋」「角谷」と直接関係があって興味深い。説明によると、芹沢鴨は酒癖が悪くあちこちで問題を起こすので、会津藩の立場からなんとかしてもらいたいとの要望があり、近藤勇一派が暗殺をしたとのこと。当日は、芹沢らは「角屋」で大々的な酒宴を催し、かなり酔って帰営して「輪違屋」の女たちと一緒に寝ているところを襲われた。芹沢以外は皆、寝ている部屋で殺されたが、芹沢は襖を蹴破って縁側に出て、そのまま隣の部屋に逃げ込もうとしたところで、置いてあった机につまづき、そこで殺害されたらしい。この部屋の鴨居や柱には犯人のつけたと思われる刀傷が生々しく残っていた。

そして、こちらが、隊士が増えてきて八木邸が手狭になったため、同じく新撰組屯所になった前川邸(右写真)。八木邸から、道を挟んで斜め向かいにある。勇や歳三ら幹部はこちらにいたとのことである。


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その後、新撰組はさらに増えた隊士を収容するために、西本願寺(左写真:本堂)の北東にあった北集会所(姫路市の本徳寺に一部移設)と太鼓楼(右写真)へ本拠を移転する。新撰組は、空砲ではあったが、境内で大砲の練習をしたり実弾射撃をしていたそうで、僧侶や参拝者からは迷惑がられていたとのことである。


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