Yamasaki 2013年5月・6月の我が家の出来事 - 24


古代出雲王国の里と十六島、小伊津 - 1

古代出雲王国の里 古代出雲王国の里2

出雲大社の遷宮祭に合わせて、関連する古代出雲王国の史跡を巡ってきた。松江市の西谷墳墓群を訪れたときに、駐車場で見つけた説明版の記述によれば、その中心は荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡、西谷墳墓群の三つである(左写真、右写真:左写真の左下部の拡大図)。

ということで、まずは西谷墳墓群であるが、出雲市の南東、斐伊川のそばにある。30基ほどの古墳があるらしいが、そのうち1号墓~6号墓の並ぶ丘陵が「西谷墳墓群史跡公園・出雲弥生の森」として整備されている。その古墳の形は、出雲地域独特の形をした「四隅突出型」の方形古墳であり、横から見るとエジプトのピラミッドの上半分を削ったような台形になっている。全体としても何だか、エジプト王朝の「王家の谷」と同じような感じのところである。発掘調査の結果からは、築造された弥生時代後期から古墳時代前期(2世紀末から3世紀)に出雲地方に確かに「王」が存在したことがわかったらしい。


古代出雲王国の里3古代出雲王国の里4古代出雲王国の里5

これは2号墓の上から、3号墓を見たところ(写真:右側に2号墓の上部、左側に3号墓が映っている)。確かに横から見ると墓は台形をしており、名前のとおり、その四隅が突出している。写真の中央部に石がしきつめられた舌のような形をした部分が、2号墓自身の突出した隅の一つである。また、写真右側半分の上部には隣接した出雲商業高校のグランドが見えるが、ちょうど野球の練習を行っている元気な声が聞こえた。この墓に埋葬された昔の王族の血を引いた若者がいるのではないか、そしてその声を墓に眠っている祖先が聞いて喜んでいるのではないかと想像できた。


古代出雲王国の里6 古代出雲王国の里7

1号墓から2号墓の全体を見たところ(左写真)。2号墓はほとんど破壊されていたらしく、それを復元したときに、内部に展示室を造ったとのこと。その資料室では、昔の王の埋葬状態が3次元プロジェクションで再現するシステムがあった(右写真)。


古代出雲王国の里8 古代出雲王国の里9

1号墓もほとんど破壊されていて、わずかに突出した隅の一つが認識できるのみである(左写真:上部から下部に向かって下のように伸びている)。比較して認識を容易にするために、2号墓の突出した隅の写真を載せる(右写真)。


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