2013年7月・8月の我が家の出来事 - 3
出雲大社「聴き旅」とサンライズ出雲 - 3

次は、出雲大社境内にある社群を紹介する。現在の「聴き旅」には、ここまで詳しい内容ははいっていない。
境内西側にある、この2つの社(やしろ)は「氏社(うじのやしろ)」である(左写真)。右側の社は、出雲大社宮司の祖である「天穂日命(あめのほひのみこと)」を、左側の社はその17代の子孫である「宮向宿禰(みやむきのすくね)」を祀っている。ちなみに、現在の宮司は84代である。
(ちょうどこの部分の原稿を書いているときに、出雲大社の禰宜(ねぎ:次期85代宮司)千家国麿氏と高円宮家の次女・典子さまがご結婚された。とてもおめでたい話であり、ご縁も感じた。)
「氏社」の向かい側の瑞垣の前には、出雲大社本殿内でご神体が座っている向きが西であることに対応した、拝礼の場所が設けられている(右写真:これは遷宮祭のあとに作られた)。なお、瑞垣内で本殿の手前に見えている社は、「筑紫社(つくしのやしろ)」で、大国主大神の后である「多紀理比売命(たぎりひめのみこと)」を祀っている。多紀理比売命は福岡県(=筑紫)の宗像神社の祭神であり、そのころから筑紫と出雲が深い関係にあったと考えられているようだ。

本殿を裏から見たところ(左写真)。実に堂々としている。そして東側から見た瑞垣内(右写真)。瑞垣内で本殿の横に二つ並んでいる社のうち、右側の社は「御向社(みむかいのやしろ)」で、大国主大神の正后である「須勢理比売命(すせりひめのみこと)」を祀っている。また左側の社は、「天前社(あまさきのやしろ)」で、大国主大神を治療して助けたと言われる「蚶貝比売命(きさがいひめのみこと)」と「蛤貝比売命(うむがいひめのみこと)」が祀られている。

東側から見た本殿の拡大写真(左写真)。このページに、ほぼ同じ位置から撮影した本殿修復前(=遷宮前)の写真を載せているが、檜皮ぶきの屋根が新しくなっていることが良くわかる。これは、東十九社の北側にある「釜社(かまのやしろ)」(右写真)。「素戔鳴尊(すさのおのみこと)」の「御子神(みこがみ」で、食べ物を守る神様である「宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)」が祀られている。このあたり一帯の北山山地を「宇迦山」とも呼び、「うが」とは穀物を意味する古語とのこと。だから穀物を炊く「釜」なのであろう。伊勢神宮の外宮には「豊受大御神(とようけのおおみかみ)」という、内宮に祀られている天照大御神の食事をつかさどる神が祀られているが、出雲大社と釜社の関係は、伊勢神宮の内宮と外宮の関係に等しいのであろうか?