Yamasaki 2008年7月・8月の我が家の出来事-9



出雲大社とその周辺-1

松江での3回忌と温泉津での墓参りが終わり、ちょうど8月1日から出雲大社御本殿の(夏休み期間向け)一般公開が始まるというので行ってきた。4月20日夜の「仮殿遷座祭」で大国主命(おおくにぬしのみこと)が御仮殿(現拝殿)に遷られ、御神体が留守になられた間の本殿の約60年ぶりの一般公開である。が、60年前は一般公開といっても氏子のみが入ることを許されたらしいので、本当の意味での一般公開としては初めてだということらしい。

出雲大社特別拝観1 出雲大社特別拝観2

とにかく何時間も待たされると聞いていたので、レンタカーで朝早くから出かけた。しかし平日ということもあってか渋滞にはまることなく、出雲大社直営の駐車場にはいることができた。ただ既に大型バスは何台も止まっていた(あとでわかったことだが、普通の出雲大社観光ではなく、この本殿公開用の特別ツアーだった)。参道の終わりあたりでまず整理券をいただいた。あなたは何時何分に来てくださいと書いてある。そしてその時間に行くと、このテント(左写真:実は左側にもう一張テントがある)の中で座って30分ほど待つ。ちなみにテントの端にボンベのようなものが並んでいるが、給水機とその紙コップを捨てるゴミ箱である。反対側には大きな扇風機がまわっていた。そして前の方から確か20人ずつくらいで呼び出され、「特別拝観之証」(右写真)を手渡されて中へ入っていく(記憶が不確かである。もしかしたら出るときに渡されたかもしれない)。この「特別拝観之証」にのっている7つの雲が、有名な(小泉八雲の名前にもなった)本殿の天井に描かれている「八雲之図」である。その「特別拝観之証」の裏にある「八雲之図」に関する説明を載せておく。

「(前略)八雲は造営遷宮に際して描かれたものであるが、起源については詳らかではない。下段中央にある最も大きな雲は「心(しん)の雲」といい、遷宮斎行直前の午の刻(正午)、黒雲の部分に「心」入れという秘儀が行われた。これにより「天下泰平・国土安穏・朝廷宝位無動・仁民護幸給」等が祈られ、子の刻(午前零時)、遷宮が斎行された。雲の配置、配色、逆光の一雲等、秘められたものが多い。」


出雲大社特別拝観3

急な階段を昇って本殿へ上がると、まず廊下を通って周囲を一周する(写真)。大国主命が天津神に国譲りを行う際、その代償として天孫が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしいと求め造営されたのが出雲大社であるというが、24mで日本一の高さ(大昔にはその倍48mもあったという)を誇る本殿は、それを支える太い柱も含めて、250年以上前の造営とは思えない美しさを保っている。最後、南側のあいている扉の前で説明を聞きながら、本殿内部を拝観した。

(以下、「特別拝観之証」の図を参照)
本殿内部は約60畳の畳の間で田の字のように4つの部分に分けられており、その中心に心御柱(しんのみはしら)がある(図では中心の○)。右奥(図では右上部)には御神体が祀られていた西向き(図では左向き)の「御神座」、左奥(図では左上部)には南向き(図では下向き)の「御客座五神」を見ることができ、そして天井に極彩色の「八雲之図」を見ることができた。窓がなく光が入らない本殿だからというものの、250年以上前に描かれて一度も塗り直しされていないのに本当に鮮やかな色なのに驚く(図の色とは程遠い鮮やかさで、このページにある写真の色は近いが、もっと鮮やかである)。

なお、なぜ「八雲」なのに7つの雲しか描かれていないのかという理由についての説明があった。「未完の美」ということである。あとで知ったが、松江市にある神魂神社(国宝:このページ及びこのページで紹介)の天井の雲が9つあり、「一つの雲は、神魂神社へ飛んでいった」という説もあるらしい。でも、もう少し縁結びで有名な出雲大社らしい説を考えてみた。7つの雲のうちで一番大きい「心の雲」は、実は2つの雲の合体だと見たらどうだろうか? 8つある雲のうち2つが「縁あって」合体したので7つに見えるということである。いずれにしても、「特別拝観之証」の裏にある説明の最後にあるように、「秘められたものが多い」図であり、いろいろ考えをめぐらすことができる図である。


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