2013年11月・12月の我が家の出来事 - 31
オーストリア - 31
最初の部屋に、ここで認められたものの実行されることはなかった「ハイリゲンシュタットの遺書」の複製がある(左写真)。聴力の衰えを感じたベートーベンは、医者の勧めで当時温泉地であったこのハイリゲンシュタットに来た。しかし、一向に良くならずむしろ悪化した。耳が聞こえないという、作曲家としては致命傷を負ったベートーベンは絶望し、32才の1802年10月2日、この遺書を書いたのだ。
耳が聞こえなくなってから使ったといわれる補聴器(左写真)。そして、強い意志を見せる表情の胸像(右写真)。
肖像画(左写真、右写真)。