Yamasaki 2014年7月・8月の我が家の出来事 - 22


島根出張(大田・松江・出雲)- 2

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そして、愛宕神社の西側の谷には山崎家の菩提寺である西念寺がある。西念寺は、戦国時代の後期、毛利元就が九州の立花城を攻めた際に、手柄のあった然休(ねんきゅう)上人を開祖とした浄土宗のお寺で、中庭には元就手植えの紅梅があり、毛利家縁のお寺である。 境内は、谷の岩盤を毛利家の手勢が手掘りで切り拓いたと伝えられている。そして境内にはいって左側の岩山には、階段の脇の崖を削って、お墓が作られているのを見ることができる(左写真)。一方境内にはいって右側の門を出ると、西念寺の土塀と崖の狭い間に、温泉津にあるもう一つの港「沖泊(おきどまり)港」とを結ぶ「沖泊往還道」の起点がある(右写真)。そこには、(写真ではわからないが)馬をつなぎとめるための穴が開いている「馬つなぎ石」も残っている。


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これが波穏やかな沖泊港(左写真)。沖泊港は喫水が深く温泉津港よりさらに多くの船が入り、温泉津と沖泊両港併せて120艘の舟をつけることができる大港湾だったらしい。戦国時代の後期に、石見銀山から運ばれてきた銀の積み出しと、逆に石見銀山への物資の補給、そして、鵜の丸城併設の軍事基地としても機能した港とのこと。 船の保留用に、自然の岩盤をくり抜いた「鼻ぐり岩」が、湾内に数多く残されている(例えば右写真)。また一体となって歴史を重ねた温泉津と沖泊を、「銀山柵の内」と結ぶ全長約13kmの街道「温泉津沖泊道」も世界遺産になっている。


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温泉津駅から2駅東の馬路駅から海岸線の道を歩いて行きトンネルを越えると、「鞆ヶ浦(ともがうら)港」である(左写真、右写真)。鞆ヶ浦港は、石見銀山の開発当初にあたる戦国時代の前期に銀鉱石が積み出された港で、世界遺産の一部となっている。ただ、江戸時代にはいると銀の積み出し港は温泉津に移ったため、鞆ヶ浦はさびれ、漁村化した。


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鞆ヶ浦港と「銀山柵の内」を結ぶ全長約7kmの道「鞆ヶ浦道」も、世界遺産の一部である(左写真)。その道を少し行くと、民家の母屋と納屋を新しく復原し、鞆ヶ浦の港湾や街道を解説・案内する施設「鞆館」がある(右写真)。


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