Yamasaki 2015年7月・8月の我が家の出来事


祝!松江城国宝指定

松江城天守が、5月15日の国の文化審議会で国宝になることが決定し、7月8日に正式に国宝に指定された。実は、松江城天守は、1935年には国宝保存法により国宝に指定されていた。しかし、戦後新しくできた1950年の文化財保護法では国宝ではなく重要文化財に位置づけられてしまい、市は国宝復活の陳情を幾度となく行ってきたとのことである。最終的に、「慶長16年」と記されていた祈祷札と、祈祷札にある釘穴と一致する釘穴のある天守内の柱を見つけるができて、国宝復活となったとのことである。

山崎家との関連でいえば、徹の父が生まれた出雲市にある「出雲大社」本殿は明治時代から国宝、母が生まれた温泉津町は2007年「石見銀山」の一部として世界遺産になり(このページ)、そして徹の生まれた松江市では、「神魂神社」本殿についで2件目の国宝指定である。ただ、「神魂神社」は「出雲大社」との関連が強く、松江のシンボルともいえる松江城の国宝指定はことさらにうれしいことである。

以下、山崎家のアルバムに残っている松江城の写真を紹介して、祝意を表したい。


2015松江城1 2015松江城2

1950年から1955年まで松江城天守は「昭和の解体修理」が行われたのだが、修理前の松江城天守を、徹の父が写真に残している(左写真)。当時写真に凝っていた徹の父が、アナログ写真でのエッジ抽出処理を施したもので、何冊かあるアルバムのうちの一つの最初のページに大きく引き伸ばして載せてあるので、大変気に入っていた写真のようである。さらに同じページには、小さい写真ながら、雪の積もった解体修理中の松江城天守の写真も載っている(右写真)。ちなみに徹は1953年生まれなので、ちょうど「昭和の解体修理」の最中に生まれたことになる。


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父と仲が良かった叔母(父の妹)が松江城天守の石垣とともに写っている写真が残っていた(左写真)。左側の雪洞には「鼕(どう)行列」と書かれており、若かった叔母は11月の松江神社例大祭の折に松江に来て、父とともに鼕行列を楽しんだのであろう。
徹も松江城天守の石垣と共に写っている写真が残っていた(右写真)。大学生の夏休みの帰省中のとき、九州大学に進学した高校時代の友人が訪ねてきてくれて、一緒に「懐かしい」松江市内を楽しんだ時に撮影してくれた一枚である。


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それから徹が淳子と結婚する前、徹の会社のバスケット部の友人たちが淳子と淳子の高校時代の友人と車で松江を訪問した時に、松江城(左写真)とその前(右写真)で撮影した写真が残っていた。松江城の姿はこうしてみるとコンパクトではあるが堂々としていて、日本一の美しさだと思う。


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