Yamasaki 2007年5月・6月の我が家の出来事 - 1


祝!石見銀山世界遺産登録

6月28日、島根県大田市出身の会社の同僚からメールが飛び込んできた。「逆転で石見銀山が世界遺産に登録されました。」とあった。確かに、昨年暮れに父の四十九日の法要で温泉津に行って偶然視察団に出会ったときも、年初にあった出雲路講座の石見銀山特集でも、登録は間違いなしと言われていたものの、途中「登録延期」を勧告されたのであきらめていたのだが、粘り強い交渉というか「根回し」が効を奏して「逆転」登録となったわけである。5月に毅が祖母と温泉津へ行ったときに若林酒造に寄って「ようやく」(このページこのページにこれまでの入手失敗の件が書いてある)手に入れてくれた、とても旨い黒(生もと純米 生原酒)と白(純米 袋吊り生原酒)の2本の「開春竜馬」を毎日(!)飲みながら待ったかいがあった。これで、徹の母の出身地、温泉津も再び活気を取り戻すことだろう。世界遺産には、石見銀山だけではなく、とれた銀を世界へ積み出すための道「石見銀山街道」と温泉津の「港と港町」も含まれているからである。温泉津から撤退した「いなや旅館」5代目としては、温泉津の旅館が江戸時代当時の大賑わいを見せてくれることを期待している。

そういえば、父母と一緒に石見銀山へ行ったことを思い出し、古いアルバムを引っ張り出した。見てみると1994年の夏に毅(9歳)・遼(6歳)も入れて6人で行っている。以下そのとき撮影したいくつかの写真をもとに、世界遺産となった石見銀山とその周辺の観光地を紹介する。

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石見銀山は天領だったため、近くの大森という町に代官所が置かれていた。その大森の町並みを歩くのは昔ながらの珍しい店もあったりして楽しいが、有名な五百羅漢がある羅漢寺がとても素敵である。写真にあるように、3カ所ある岩盤斜面の石窟(中央窟に釈迦三尊像が、左右両窟に250体ずつの羅漢像がある)と、川にかかる3基の石橋に趣がある。なお、銀山周辺にはたくさんのの間歩(まぶ:坑道)があるが、その中でたった一つ公開されているのが「龍源寺間歩」で、是非はいってみることをすすめる。中にはいるとひんやりと涼しかったのを覚えているが、平均気温は16,7℃で、年中変わらないそうだ。はっきりとは覚えてないが、間歩の中には佐渡金山のように人形など置かれてはいなかったような気がする。観光開発というよりは学術保存という態度が世界遺産につながったのではないか。

(追記1:大森町には、全国的なブランドになった店が3つもあることがわかったので紹介しておく。
「BURA HOUSE」ブランドと「群言堂」ブランドの生活雑貨を展開している群言堂
義肢装具やメディカルアートで有名な中村ブレイス
ごまどうふで有名な中田商店
追記2:最近(2007.9.15)の情報によれば、石見銀山最大級の坑道『大久保間歩』の坑内、戦国時代後期から銀の採掘、精錬の中心となった「仙の山」本谷地区が、2008年春に公開される予定である。)

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この写真は「琴が浜」という美しい海岸で撮影されたものである。この海岸で歩くとキュッキュッと琴の音のように鳴るので、「鳴り砂」の浜として知られている(近くに、この砂1トンを一年かけて落とす世界最大の砂時計を見ることができる「サンドミュージアム」がある)。昔、壇の浦の源平の戦に敗れてこの地に流れ着き、村人に助けられたお礼に毎日琴を奏でていた平家の姫が亡くなって以来、砂の浜が琴の音のように鳴くようになったという美しい伝説もある。以来、この浜を琴ヶ浜、そして姫を琴姫と呼ぶようになったそうである。なお、写真は徹と今は亡き父がなにやら話をしているところを淳子が撮影したものであるが、2人だけで話している写真は他にはなく、とても大切な写真である。

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三瓶山(さんべさん)はあまり有名ではないが、大山隠岐国立公園の一部である(松江の北にある島根半島も大山隠岐国立公園の一部である)。石見銀山のある石見国と出雲大社や松江のある出雲国の国境に位置し、「出雲国風土記」が伝える「くにびき神話」にも登場する。 三瓶山は鳥取県の大山とともに国を引き寄せた綱をつなぎ止めた杭とされたのだ。左の写真にあるように、三瓶山にはリフトがあり、冬はスキー場としてにぎわうそうである。温泉付きスキー場としては西日本唯一とのこと。右の写真は3世代家族6人で宿泊した国民宿舎「さんべ荘」の前で撮影した写真である。国民宿舎というと安っぽいというイメージがあるが、さんべ荘は全然別で、温泉も素晴らしいし部屋もお洒落である。



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