Yamasaki 2007年5月・6月の我が家の出来事 - 2


祝!石見銀山世界遺産登録 - 2

古いアルバムには1984年に祖父の三回忌で訪れたときに撮影した温泉津の写真もいくつかあったので、それにまつわるエピソードと共に、これも世界遺産登録を祝って紹介する。

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まずは、今は このページにあるように駐車場になっている「いなや旅館」の在りし日の写真である。左写真は、「いなや旅館」の玄関前で撮影されたものである。戸を開けると広い玄関があり、左手に2階へあがる階段が、右側には和室への入り口が、そして中央には生け花がおいてある小さな床の間がありその上にホームページの表紙に載せてある「時間就」と書かれた額がかかっていた。右写真では画面の左半分に2階建ての「いなや旅館」全体が写っている。

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次は、「いなや旅館」がよく利用していたそばの「石州亭」である。ここの有名だったちょんまげ姿の店主のことは、ちょっとだけ このページで触れているが、とにかくおいしいそばをたべさせてくれた。徹は小さい頃は毎年温泉津で正月を迎えていたが、年越しそばはいつもここの「割り子」を頼んでいた(右写真で淳子も「割り子」を食べている)。しかし、徹は「釜揚げ」のほうが好きだった。或る年の大晦日には、昼からその「釜揚げ」を2人前食べ、年越しで「割り子」をたらふく食べ、おなかを壊してしまって正月から寝込んでしまったことがある。「石州亭」も、この写真を撮影した当時はまだ存在していたが、「いなや旅館」と同じく後継者に恵まれず、今はもうない。 実は、この「石州亭」以外に温泉津にはおいしい食堂やレストランはなかった。そのかわりに旅館でいただく料理がおいしいというわけである(例えば「ますや」旅館の料理についてこのページに記載している)。世界遺産登録を機会に、おいしい郷土料理(特に「そば」)を出してくれるお店がたくさんできてくれることを期待したい。

さて、温泉津は小さな町にもかかわらず、銀の積出港であった当時の繁栄を示す、大きなお寺や神社がいくつも残っている。松江や京都で過ごしてきた(そして今は鎌倉に近いところに住んでいる)身としては、温泉津の神社仏閣を是非とも紹介してみたい。

まず祖父母の墓がある港そばの「西念寺」であるが(実際のお墓はもっと上の「龍沢寺」にある)、2005年に施餓鬼法要で行ったときに撮った門の写真がこのページにある。本堂も立派である。


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そしてもう少し温泉街を上にいくと、「龍の御前(たつのごぜん)」神社がある(後記:左写真だが8月に温泉津に墓参りしたときに撮影)。この神社の奥の院の上には竜の形をした巨岩があり(後記:左写真の鳥居の上部に見えている。右写真が拡大したもので、これも8月に温泉津に墓参りしたときに撮影)、神の降臨する場所として崇拝されていたそうだ。正月は、「石州亭」の年越しそばを食べながらNHKテレビの「紅白歌合戦」「ゆく年くる年」を見て、午前零時になると袴に着替えた祖父とこの「龍の御前」に初詣に行くのが常だった。暗い街中を祖父と歩いていくと出会う人たちが「いなやさん、おめでとうございます」と言ってくれるのが気持ちよかったことを覚えている。「龍の御前」でお神酒をいただき、そのあと帰って寝た後、朝、次ページで紹介する金刀比羅神社へ行ってまたお神酒をいただき大太鼓をたたくというのが恒例になっていた。



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