Yamasaki 2007年1月・2月の我が家の出来事−13



4回目・5回目の中国出張 - 5

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次の日に北京へ行って清華大学を訪問した。前回2004年に訪問したときにはなかったIT関係の大きなビルが新しく建っていた(訪問先の教授の研究室もその中)。
なお、上海から北京へは浦東空港からではなく国内線用の虹橋空港から飛ぶ。夕方だったので、機上からは「主翼と月」、北京空港では「尾翼と夕日」という景色が見れた。いずれも写真好きの同僚(セミプロ級の腕前)の撮影である。それからまた上海へ舞い戻って1日仕事をしたあと帰国した。


出雲路講座(6)

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前回前々回に続いて、島根県主催の「事前学習型」観光セミナー「「学んで旅する”ご縁ツーリズム”出雲路講座」の講演会第6回目に行ってきた(5回目も申し込んでいたのだが、中国出張でいけなかった)。今回の題は「未来に引き継ぐ石見銀山」、講師は大田市役所の「石見銀山課」(!)長、大國晴雄氏である。今回は、大田市出身の同僚を誘って、ともに参加した。NHKの松江放送局の取材もはいっていて(写真)、我々のところにもアナウンサーが来たが、島根県出身者だとわかると去っていった。他の人のインタビューを聞いていると「島根県の位置がわかりますか?」という質問をしていたので、島根県出身者では意味がないということのようだ。それにしても最近の新聞によれば、「自治体なんでもランキング」の「場所がどこにあるのかはっきりしない都道府県は?」の1位は島根県だそうである。栃木、福井、群馬と続き、「ライバル」(?)の鳥取県は5位である。大國氏も講演の最初にその点に触れたあと、「島根県を訪れる人は、初回とリピーターが多い。つまり、"地味だけれども奥が深い””いぶし銀”のようなところである。」と話されて、「”銀”山」である石見(大森)銀山の紹介にはいられた。なお、「石見銀山」も間違えて「岩見銀山」と書かれたり、「硯(すずり)銀山」と読まれたりするそうである。

お話の中で特に興味深かった点は以下のとおり。
1)1526年の発見から100年がピークで、日本の産出量は世界の銀の3分の1、石見銀山が大半を占めていた。江戸時代にはすでに産出量は少なくなっていた。
2)石見銀山からとれる銀に鉱毒はなく、「石見銀山ねずみとり」という言葉は不適切。(近くの津和野にある鉱山からとれるものには砒素がはいっていて、それと間違われたようだ。)
3)強制労働はなく、「家族単位で坑道のそばに家を建て、庭で精錬をした」ということだった。その形態で1万人程度が住んでいた。
4)行政は長が変わるため、保存運動の主役ではありえない。未来に引き継ぐ主役は地域である。大森町は50年前に保存会を作って活動を継続している。

既に、世界遺産への登録は間違いなしと考えられているようで、8月25日に世界遺産登録記念のシンポジウムが読売ホールで開かれるとのことである。


2007年問題始まる

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ばりばりと働いてきた「団塊の世代」が続々定年を迎えて会社を去っていくいわゆる「2007問題」、徹の会社も例外ではなくこれからたくさんの先輩たちの「送別会」が開かれる予定である。その第一弾が厚木であった。たくさんの昔の仕事仲間が集まった。左写真は1次会のあと、右写真は2次会のあと、撮影されたものである。2次会で飲ませてもらった「喜久酔(きくよい:最初「菊水」(きくすい)と間違えた!」という静岡のお酒がとてもまろやかでおいしかったことを覚えている。



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