Yamasaki 2008年7月・8月の我が家の出来事-7



父の3回忌@松江&温泉津-2

今回松江で昔の写真を整理していたら、大昔の「いなや旅館」のパンフレットと写真が見つけたので紹介しておく。このページに1984年当時の「いなや旅館」の写真を載せているが、このパンフレットと写真はそれより50年以上は前のものであろう。

いなや1 いなや2

パンフレットの表紙にのっていた「いなや旅館」の写真(左)と1984年当時の写真(右)とを比べてみると、看板の字のにじみ具合が異なっていることがあげられるが、パンフレットでは何より玄関内部が良く写っている。左手に2階へあがる階段が、右側には和室への入り口が、そして中央には生け花がおいてある小さな床の間があり、その上にこのホームページの表紙に載せてある「時間就」と書かれた額がかかっている。


いなや3 いなや4 

「いなや旅館」を温泉街の上(かみ:写真でいうと右側)から見た写真がある(左写真)。玄関前に虚無僧が写っているが、昔は良くきていたようだ。「いなや旅館」の左隣の借家には確か理髪店がはいっていたような気がする。その理髪店がなくなったあとは、近所の魚屋に車庫として貸していたり、物置として使っていたと思う(ここまでが現在駐車場になっている:このページ)。そのまた左隣の白い壁が温泉津温泉の「元湯」である。「いなや旅館」の玄関をはいって撮影した写真もある(右写真)。パンフレットの表紙の写真でも写っていた、左側の2階へあがる階段、右側の和室、正面の床の間が良くわかる。和室の中を歩いているのは、若かりし頃の徹の祖母であろう。


いなや5 いなや6

2階への階段をあがると、1階の部屋に光をあてるための採光用の中庭の周りにコの字型に6つか7つの客室があったと記憶する。まず階段をあがったつきあたりに第一の客室があり、その右隣に左写真の客室があった。徹と両親で来たときには、この2つの客室が両親が泊まる部屋になっていたと思う(その当時はもうほとんど客は泊めていなかった)。徹はというと、廊下を挟んでそのまた右側にあった一番小さな角部屋がお決まりの場所であった。それから、道路側に2室か3室並んで客室があったが、この右写真の客室は一番端で玄関の上であった。


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