Yamasaki 2013年9月・10月の我が家の出来事 - 4


大学の下宿の同期会

会社で定年になったということは、大学の同期も定年の年を迎えるということである。特に仲が良かった「下宿の同期会」(6人)を企画して、第一回をやることにした。もちろん、いいだしっぺの徹が幹事である。ただ定年を迎えたあと悠々自適の生活にはいったものは2名で、あとは大手電機メーカーの子会社の役員、県の外郭団体の理事、塾の数学教師、そして会社と大学の2足のわらじの徹と、まだ働いているものの方が多数派であった。


下宿の同期会1 下宿の同期会2

さて、実は下宿は一回移った。1軒目は、実は入試のときに泊まった旅館「京宮」、百万遍交差点近くの吉田泉殿町というところにあった。大学から歩いて5分という近さの旅館で、確か父の仕事上の付き合いがあった京都の伝統産業(着物とか草履とか?)の会社社長に頼んで探してもらったところだったと記憶する。そこの女将さん(橋本おばあさん)から、来年から旅館をやめて下宿にする予定だと聞いて、予約した(もちろん合格したらという条件付き)。無事合格したので、そこに下宿を開始。新米の下宿屋なので、はいってきたのは新入生ばかり、大学紛争のため大学に行くことは少なく、大学の友人より下宿の友人でつるむようになった。そして、この下宿屋がすぐに廃業して(我々が煩かった為!?)、今度は東京から戻ってくるという女将さんの息子が料理屋を始めた。それが、今やミシュランの二つ星の店となった「梁山泊」である(左写真:路地沿いの竹垣、右写真:入口)。

(「京宮」を追い出された我々は、いくつかに分散してまた下宿を始めた。徹ともう一人が2軒目の下宿屋としたのが、走ったら1分以内に大学構内にはいれるという、吉田本町の「佐川千代」さんというおばあさんの経営する下宿屋であった。2001年に米国からの出張で訪問したこともある(このページ)。また、2011年に会社の仕事で京大へ行ったときに寄ってみたこともある(このページ)。この下宿屋が、ばらばらになった他の4人も集うたまり場となった。)


下宿の同期会4 下宿の同期会5

さて、当時学生運動が盛んだったので、自分たちのことを、1軒目の下宿の旅館だったころの名前にちなんで「京宮派」と呼ぶようになっていたが、その「京宮派」の同期会第一回目の集合場所は、下宿のそばの「玉蘭」にした。このページにも書いてあるように、麻雀をやって負けたものはこの玉蘭のAランチ(確か500円だったと思う)を奢ることが決まりだった。今回もそのAランチ(今は名前は変わっていた)を注文したものが多かった(左写真)。残りは、これも昔懐かしいオムライスを注文した(右写真)。


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