Yamasaki 2014年7月・8月の我が家の出来事


鎌倉「聴き旅」(2)

鎌倉「聴き旅」(2)1

鎌倉「聴き旅」については、このページに紹介している。そのときの貸し出し場所は駅の中の観光案内所だったが、駅東口前のレンタサイクルの店(写真)に変更になったとのことで、再び借りて、あまり行ったことのない駅の西側をレンタサイクルで走ってみた。なお、貸出のときにもらった1枚物で4つ折りのパンフが素敵だったので、このページにその写真を載せておく


鎌倉「聴き旅」(2)2 鎌倉「聴き旅」(2)3

さて、駅西口にある時計台の前で早速音声ガイドが始まった(左写真)。この時計台は、以前、鎌倉駅の屋根の上にあって、関東大震災も経験している古いものとのこと。駅の改築で、取り壊される予定だったが、市民の強い願いで、この場所に移動し保存され、待ち合わせのスポットとして利用されているらしい 。
また、この時計台の横には、ラングドン・ウォーナの石碑がある(右写真)。ウォーナ博士は戦時中、鎌倉をはじめとした、日本の文化財の大切さを訴えつづけ、空襲を免れたと書かれている。京都もそのはずである。ありがたい。


鎌倉「聴き旅」(2)4 

そのあと、「聴き旅」のナビゲーションに従って佐助稲荷神社(写真)に行った。


鎌倉「聴き旅」(2)5 鎌倉「聴き旅」(2)6

林立する赤い鳥居の下をくぐっていくと(左写真)、たくさんのきつねが迎えてくれるとの「聴き旅」ガイドがあったが、、、確かに。(右写真)。
なお、佐助稲荷神社の由来については、「聴き旅」は以下のような説明をしてくれた。
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源頼朝が、伊豆にいる時、神様が翁の姿で夢枕に立ち、「我は隠れ里の稲荷である。源氏の嫡流として、打倒平家の兵を挙げるのだ。勝利は間違いないであろう。」というお告げがあった。頼朝は、1180年8月17日に挙兵し、いちどは敗れるものの、体制を立て直して鎌倉に入った。そして、5年後に平家を滅ぼした。頼朝は、幕府を開くと家来に隠れ里の稲荷を探させ、佐助ケ谷に祠を見つけ、そこにお宮を建て「佐助稲荷」とした。
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