2013年1月・2月の我が家の出来事 - 4
飛行機で松江へー中学の還暦同期会 - 3

さて、その夜の松江一中還暦同期会。場所は、5年前の同期会(このページ)と同じく、同期生が支配人を務めている「ホテル宍道湖」である。クラスごとのテーブルであることは、これも前回と同じ(左写真)。クラスごとに檀上にあがり、近況報告をするのも前回と同じ。ただし今回は「くじ引き」で代表者が話すのではなく、遠くからの参加者ということで徹が話した(右写真)。

それから、違うテーブルへ行ってクラス交流。徹は、一緒に生徒会の副会長を務めて、卒業式では皆が感激した答辞を述べた女性のところへ行って、当時の話をした(左写真:右側が徹と一緒に生徒会の副会長を務めた女性)。一次会が終わると全体写真の撮影(右写真)。これを見ると、前回と同じく同期生全体の1/5にあたる60人ほどが出席していたことがわかる。

2次会も、前回と同じく松江の「歓楽街」である伊勢宮町のスナックへ。カラオケになった(左写真)。それから、そのビルの1階上にある別のスナックで3次会、かなりくたばった(右写真)。結局12時をかなり過ぎたころに「ホテル宍道湖」へ戻り、支配人である同期が設定してくれた特別価格で宿泊。ありがとう!
ところで、徹は高校の同期会で同期の顔を思い出すのに役立っている「卒業アルバム」を、今回の中学の同期会でも持って行こうと家の中を探したのだが見つからなかった。その卒業アルバムが会場に展示されていたので、コピーを送ってくれるように幹事が依頼したところ、そういう依頼が複数あったらしく、後日送ってくれた。その中に懐かしい写真が2枚あったので、ここで紹介する。

まず、アルバムのトップを飾る「双松」の写真(左写真)。実は、当時の松江一中の校舎があった「赤山」には、現在はこれも徹の母校である松江北高が移転してきている(このとき徹の中学、高校の母校が一度になくなった!)。経緯としては、もともと松江北高の前身である松江中学が「赤山」にあり、そこが狭くなったか何かの理由で移転し、松江一中がそのあとにはいった。その後、松江中学・松江北高の同窓会(会の名前を「双松会」という!)は、「双松」のある「赤山」に戻りたいということで、グラウンドを「赤山」とは別のところに作るという荒業を使って、狭い「赤山」に戻った。だから、徹が母校「松江北高」で講演を行ったこのページ)その場所は、実は母校「松江一中」の場所だった、という妙なことになった。いずれにせよ、徹にとってはこの「双松」は、母校である中学・高校双方のシンボルなのである。しかし、残念ながらこの写真に姿をとどめている「双松」は、現在は枯れてなくなった。次の代の松が生えてきているとのことである。
そして、徹が3年間所属したバスケットボール部のメンバーの写真(右写真)。徹は前列右から2人目であるが、その左側のメンバーが持っているボールには「県優勝」の文字が。つまり、キャプテンだった徹の持っているトロフィーは、島根県大会優勝の時のものである。朝、夕、そしてときには昼にも、と厳しい練習(もちろん休みには合宿もやった)を3年間続けた。多くのことを学んだ。