Yamasaki 2010年11月・12月の我が家の出来事-36



北京-19

3日目はまず円明園に行った。皇帝の離宮だったが、第2次アヘン戦争で英仏軍に徹底的に破壊されたという話を聞いて、4年前に訪れたタイのアユタヤ遺跡内にあり、ビルマ軍に破壊されたワット・プラ・シー・サンペット寺院(このページ)を思い出し、是非訪れたいと思った場所である。

なお、円明園は西太后とも関係が深い。西太后は同治帝を産んだあと、円明園のなかにあった「天地一家春」という屋敷で親子水入らずの生活を送ったらしい。この数年が西太后にとっていちばん幸せな日々だったようで、円明園の再建を断念して後年頤和園の楽寿堂に住むことになったとき、「天地一家春」が忘れられず、楽寿堂の前に「天地一家春」と彫ったかめを置いて、過ぎし日を偲んだらしい。

円明園1円明園2

円明園は、実は円明園、長春園、綺春園(万春園)の3つの庭園からなるとても広い庭園で、その長春園の一部に「西洋楼遺址区」がある。そこに一番近い東門からはいってまず目につくのが「大水法」(写真右半分)。大規模な噴水のあととのこと。
「大水法」の奥(写真左半分)には「遠瀛観」(遠くに水を見る)がある。


円明園3 円明園4

その「遠瀛観」に近づいてみると(左写真)、ワット・プラ・シー・サンペット寺院(このページ)の遺跡よりも、2年前に訪れたフォロ・ロマーノにある「ユリウスのバシリカ」(このページ)を思い出してしまった。「大水法」の向かい側には「観水法」(右写真)。皇帝はここから噴水を眺めていたとのことで、真ん中には玉座があったらしい。


5 円明園6

  ベルサイユ宮殿をモデルにしたという「海晏堂」西面の噴水の跡(左写真)。当時は、噴水の左に6体右に6体、十二支を表す獣の顔をした人身像が並んでいたという。各動物(体は人間)が2時間ずつ時間を担当し、担当の時間になると池に向かって口から水を噴射したとのことである。
「海晏堂」には、162トンもの水を貯めて園内の噴水に供給していた「蓄水楼」があった。その基台が残っている(右写真)。


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