Yamasaki 2012年5月・6月の我が家の出来事 - 3



出雲大社とその周辺(3)

3回目の松江出張、というか出雲がメインとなり、米子へも行くことになった。米子は鳥取県であるが、国譲りの神話には、米子の近くの大山に綱を巻きつけて(もう一本の綱は三瓶山に巻きつけた)島や半島の一部を引っ張ってきた、とあるので、米子も出雲圏であり「出雲大社とその周辺」の中に含めて考えて良いと思う(ちなみに用いた綱は弓ヶ浜半島になり、これも鳥取県)。


神門通り1 神門通り2

出雲は神話1300年のイベントを控え、出雲大社の参道である「神門通り」がアスファルトをはがして石畳に変える工事中だった。そして、道端にある観光協会の出店では、その1枚1枚のコンクリート製プレートの裏側に、メッセージを入れることができるようになっている(左写真)。もちろん徹も参加した(右写真:赤丸で囲っている部分)。


竹野屋

「神門通り」を出雲大社へ向かって歩くと、木でできた二の鳥居の前で少し坂になっているが、その坂の手前左側に曲がる道角に、「竹内まりや」(このページにアルバムを紹介)の生家としても有名な創業130年の老舗温泉旅館「竹野屋」がある(写真)。温泉旅館「いなや」も、あととりがいれば、「竹野屋」と同じように古い温泉旅館として残っていたはずである。


かねや かねや2

二の鳥居まで行って左へ行くと、「神迎えの道」が出てくる。この道は旧暦十月(全国的には「神無月」と呼ばれるが、全国の八百万の神々が出雲大社に集まって縁結びなどについて話し合われるから、出雲地方では「神有月」と呼ぶ)十日の夜、「稲佐の浜」において、全国各地より参集される神々をお迎えする神事が行われた後、神々が「大国主命」の待たれる出雲大社へと向かわれる。この「稲佐の浜」から出雲大社へと、神々がお通りになられる道を、「神迎えの道」と呼ぶ。

「神迎えの道」には、以前紹介した(このページ)、江戸時代から出雲そばの味を守り続けてきた「荒木屋」、同じく江戸時代から酒を造り続けてきた「古川酒造」など、伝統を守ってきた、お店や旅館が何軒も並んでいる。しかし、今回は、元禄時代から続く「祝い凧」と、それを製造販売する「たかはし」を紹介したい。

そのためには、まず再度出雲そばの店を紹介しておく必要がある。四年前に出雲に行ったときには「荒木屋」のそばがおいしく、「松江のどの蕎麦やよりおいしいと思った」と書いたが(このページ)、今回の昼食は、地元では「荒木屋」より有名な「かねや」に行った(左写真)。米子空港への行き帰りによくお世話になった境港の「平田や」(このページ)にもあった司葉子の色紙(このページ)がここにも貼ってある(右写真)。


荒木屋 荒木屋2

しかし食べてみると、そばはいいのだが、だしが少し甘い。こんなはずはないと思い、一人前できりあげて「荒木屋」へ行って、もう一人前食べた。しかし、ここのだしも同じく少し甘い(そばは「かねや」のほうがいい)。もしかしたらこちらの舌か変わってしまったのかもしれないが、いずれにしろ、「松江のどの蕎麦でもこれよりはおいしい」と変更する必要がある。もちろん、地元の人を含めこのだしの味を好む人もたくさんいることは承知している。あくまで徹の現在の感想である。

今回は「荒木屋」は2階へ通されたが(左写真)、そこにも司葉子(及び相沢英之)の色紙が貼ってある(右写真)。しかし良く見ると、「かねや」の色紙にも「荒木屋」の色紙にも、「おいしい」とは書いてない。ところが、境港の「平田や」の色紙には「なんといっても渡そば」(「渡」というのはこのそばやのある地区名)と書いてある(再度、このページ)から、司葉子さんは「辛だし派」だと納得した次第である。


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