徹は時々ヘンデル(英語)の作曲した王宮の花火の音楽と水上の音楽を楽しむが、ヘンデルは彼にとっては、ハイドン(英語)と同様、協奏曲と室内楽曲の作曲家として特別な存在である。ヘンデルの曲は、管弦楽曲も含めて、オリジナル楽器を用いたコレギウム・アウレウムの演奏が愉悦感たっぷりで楽しめる。
彼はバッハ(英語)の 管弦楽組曲も時々楽しむ。もちろんカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団の演奏である。バッハのほとんどの曲は彼の指揮で、緊張感をもって演奏されている。
彼は、モーツァルト(英語)のセレナードはあまり聞かないが、そのなかでは、K361(グラン・パルティータ)は、映画「アマデウス」の場面を思い出させる印象的な曲であり、K320(ポストホルン)は魅惑的な曲である。彼は、ディベルトメントは好きで、特にK136, K137, K138とK334は良く聞く。曲そのものがいいために、特別な演奏というものはない。どんな演奏でも楽しめる。
ロッシーニ(英語)のオペラ序曲集と弦楽のためのソナタ集も魅惑的である。それぞれ、アバド指揮ロンドン交響楽団の演奏及びイタリア合奏団の演奏がヴィヴィッドで美しい。
時々彼は、自分自身を元気付けるために、リスト(英語)の交響詩前奏曲、ワーグナー(英語)のタンホイザー序曲、スメタナ(英語)の交響詩わが祖国(特にモルダウ)を聞く。前2曲はフルトヴェングラー指揮ベルリンフィルのようなドイツの指揮者によるドイツのオーケストラの演奏が、後者はもちろんノイマン指揮チェコフィルのようなチェコの指揮者によるチェコのオーケストラの演奏がベストである。
ウイーンフィルによるウインナワルツは愛すべき音楽である。彼が学生時代ウイーンに滞在した時には、ウインナワルツを楽しむチャンスはなかったので、ウイーンのニュー・イヤー・コンサートに参加するのが、彼の夢である。
ロシアの管弦楽では、ムソルグスキー(英語)の展覧会の絵(カラヤン指揮ベルリンフィルの演奏)、チャイコフスキー(英語)のくるみ割り人形(アンセルメ指揮ロマンド管弦楽団の演奏)、そして リムスキー・コルサコフ(英語)のシェヘラザード (小沢指揮ボストン交響楽団の演奏)を聞くぐらいである。但し最近はめったに聞かない。
彼はリヒャルト・シュトラウス(英語)の交響詩は聞かない。過去、聞こうと努力したことがあったが、結局楽しめなかった。(ただ一つの例外は、ツァラトウストラはかく語りきで、これは映画「2001年宇宙の旅」を思い出させるからである。)
彼は北欧の香りも好きで、グリーグ(英語)のホルベルグ組曲、ペール・ギュントそしてシベリウス(英語)のトウオネラの白鳥、フィンランディアは彼の趣味である。 彼の持っているCDは、グリーグの曲はバルビローリ指揮ハレ管弦楽団の演奏とウエルドン指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏、シベリウスの曲はカラヤン指揮ベルリンフィルの演奏である。
近年、彼はドビュッシー(英語)の海、牧神の午後への前奏曲そしてラヴェル(英語)のボレロ、亡き王女のためのパヴァーヌを好むようになってきた。彼がそのようなフランス音楽を聞くようになったのは、1983年に茅ヶ崎文化会館で開催されたピアノ・コンサートを聞きに行ってからである。そのとき、園田高弘がドビュッシーの印象的なピアノ曲「映像」を感動的に弾いた。そのコンサートの後、彼はまずドビュッシーのピアノ曲を、次にラヴェルのピアノ曲を、そして彼らの管弦楽曲を聞くようになっていった。
彼はバルトーク(英語)の管弦楽、例えば管弦楽のための協奏曲、舞踏組曲そして弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽が魅惑的であることを知っているが、ストラビンスキー(英語)の、「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」の良さを未だ知らない。ストラビンスキーは、彼にとって「処女大陸」である。
加えて彼は時々、ビゼーのアルルの女、エルガー(英語)の威風堂々、ブリテンのシンプル・シンフォニー、バーバーの弦楽のためのアダージョそしてシェーンベルク(英語)の浄夜を楽しむ。
(追記:2020.05.21)
ショスタコーヴィッチのジャズ組曲第2番(本来の題名は「舞台管弦楽のための組曲」第1番)が素晴らしいことを知った。3曲あるワルツはいずれも哀愁を感じさせる佳曲だが、8曲全て軽妙で楽しい。シャイー指揮ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団の演奏。