"交響曲の父" として、ハイドン(英語)はたくさんの交響曲を作曲した。徹はときどき45番、88番 そして "ロンドン・セット(93番から104番)"を楽しむ。しかし、彼にとってハイドンは、交響曲の作曲家としてより、協奏曲と室内楽の作曲家として大切な作曲家である。
モーツアルト(英語)も多くの交響曲を作曲したが、彼には"2つのト短調交響曲" 25番と40番があれば十分である。特に25番は映画「アマデウス」のシーンと共に強い印象を与える。その2曲がカップリングされていて彼の好きなCDは、ブルーノ・ワルター(英語)がウイーン・フィルを指揮したライブ録音である。そのCDの40番は、1952年ウイーンのムジーク・フェラインにおける演奏であるが、丁度四半世紀のちの1977年、彼は同じホールでベートーヴェンの交響曲を楽しんでいる。
そのベートーヴェン(英語)の9曲の交響曲、特に5番、6番、9番そして10番(これはブラームスの1番のことで、バリー・クーパーがベートーヴェンのスケッチから復元し、完成させた「10番」ではない。)は、特別な曲である。彼は、それらの曲が交響曲のなかの交響曲であると考えている。
5番、9番に関しては、フルトヴェングラー(英語)が一番の指揮者である。そしていろいろあるフルトヴェングラー指揮の5番のCDのなかで、1947年5月27日ベルリンにおけるベルリン・フィルとのライブ録音はドラマティック、1954年のウイーン・フィルとのスタジオ録音は雄大であり、その両者ともすばらしい。 9番?、もちろん1951年のバイロイト祝祭合唱団・管弦楽団とのライブ録音がベスト。感動的である。
6番に関しては、ウイーン・フィルの演奏が曲想に合っている。指揮者としては、ブルーノ・ワルターとカール・ベームの指揮が、「田園」としての6番をよく感じさせてくれるが、「田園」ではなく「宇宙」を感じさせるフルトヴェングラーの指揮も素晴らしい。
10番(ブラームスの1番)の演奏としては、彼はシャルル・ミュンシュ指揮パリ管弦楽団の演奏を好んでいる。その雄大な音楽は、フランスではなくドイツを感じさせ、フルトヴェングラーのスタイルに似ている。最近彼はベルリン交響楽団の演奏による10番をサントリーホールで聞いて感動したが、やはりベートーヴェンとかブラームスの精神は、ドイツの重厚なサウンドでないと再現できないのではないかと感じる。
シューベルト(英語)の9つの交響曲の中では、ブルーノ・ワルターがニューヨーク・フィル(英語)を指揮した8番のみを彼はよく聞く。
もうひとつ、誕生日が彼と同じ9月4日の作曲家ブルックナー(英語)の9つの交響曲に関しては、彼はまだその芸術の入り口にいる。ときどき彼は 8番と9番のいくつかの楽章を、シューリヒト指揮ウイーン・フィルの演奏で楽しむことがあるのみで、彼がブルックナーの交響曲に期待している心の底からの感動をまだ経験したことがない。多分それは、彼がベートーヴェンやブラームスの交響曲で味わったように、ライブ演奏から得られることだろう。
ドヴォルザーク(英語)の9つの交響曲の中での1番は、8番であり、2番は9番である。彼はシャルル・ミュンシュ指揮ボストン・フィルの演奏による8番のLPを持っているが、魅惑的な曲であり、演奏である。多分8番の魅力は、演奏とは独立なものだろう。9番の演奏はケルテス指揮ウイーン・フィルの演奏がすごい。熱狂的である。
マーラー(英語)の10曲の交響曲の中では、5番と"大地の歌"を良く聞く。マーラーの交響曲は長いので、彼はいくつかの断片をピックアップして聞くことが多い。例えば前者からはアダージェット、後者からは「大地の哀愁を歌う酒の歌」という具合である。両方ともバーンスタイン指揮ウイーンフィルの演奏が素晴らしい。
ショスタコーヴィチ(英語)の交響曲では、バーンスタイン(英語)指揮ウイーンフィル演奏の5番が、彼の特に良く聞く曲である。
その他、彼はボロディン(英語)の2番、ビゼーの1番、スクリャービンの4番、ラフマニノフ(英語)の2番そしてグレツキの3番を時々聞く。