Yamasaki 2014年7月・8月の我が家の出来事 - 21


島根出張(大田・松江・出雲)

春に引き続いて、会社からの出張で島根へ。メインの目的は、大田の石見銀山のコンテンツ作成である。ここでも、過去に載せた場所の紹介は省く(以下、過去に紹介した場所の一覧)。

やきものの里、櫛島
西念寺、ゆうゆう館
ますや旅館、路庵、若林酒造
元湯、薬師湯、若林酒造
石州亭、羅漢寺、龍の御前(たつのごぜん)神社、金刀比羅神社恵珖寺(えこうじ)、西楽寺
大森町(鳩庵、CALIARなど)、平野屋、石見神楽@龍の御前神社、のがわや
大森町(城上(きがみ)神社、代官所跡)


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まず、温泉津町から。温泉街へ入る手前に、内藤家の屋敷がある(左写真)。また、この屋敷の手前には右へはいる路地があり、そこに入ると、両側に「なまこ」壁を持つ土蔵群がある(右写真)。 毛利元就が石見銀山の支配を確立した戦国時代の後期、家臣であった内藤家は、鵜の丸城の初代奉行として温泉津にやってきた。内藤家はその後400年にわたって、庄屋、回船問屋、酒造業などを営んできた。


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また、近くの小高い山の上には愛宕神社がある。 港側の急な階段を上って境内にはいると、すぐ左に、江戸時代に幕府直轄となった石見銀山の初代奉行、大久保長安が生前に作ったお墓である逆修塚がある(左写真)。生前に自分の法名を付けた逆修塚を建てると、功徳が大きいといわれており、大久保長安は実に4か所に逆修塚を建てている。温泉津にはここ愛宕神社と温泉街にある惠珖寺2か所、石見銀山に1か所、そしてのちに金山の奉行にもなったので、佐渡に1か所建てている。徳川家康に長用され、全国の「金山・銀山」の統轄を任された大久保長安だが、死後、生前の不正蓄財の罪に問われ、7人の男児と腹心の部下は全員処刑され、その家財は残らず没収されたとのこと。一方本殿の右には、由来が謎といわれる「梵鐘」がある(右写真)。もともとは隠岐郡海士町のお寺にあった鐘だったそうで、豊臣秀吉の朝鮮出兵に際して供出されたものの、返還する時に間違って温泉津に運ばれたもの、と伝えられている。


島根出張39 島根出張40

尚、港側の急な階段の途中からは温泉津港が一望できる(左写真)。また本堂の裏には、苔むした山道が北に続いている(右写真)。この山道は、そのまま行って突き当たったところを右に曲がれば、また温泉津の温泉街に戻ってくる。


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